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展覧会・イベント

第12回亀倉雄策賞受賞記念

デザイン維新だ。浅葉克己展。

  • 会期:2010.2.22 月 - 3.26 金
  • 時間:11:00a.m.-7:00p.m. 日曜・祝日休館 入場無料

1997年に急逝したグラフィックデザイナー亀倉雄策の生前の業績をたたえ、グラフィックデザイン界の発展に寄与することを目的として、1999年、亀倉雄策賞が設立されました。この賞の運営と選考は社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)が行い、毎年、年鑑『Graphic Design in Japan』出品作品の中から、最も優れた作品に対して贈られます。
第12回となる今回は、浅葉克己氏の、住宅メーカーのデザイン思想のポスター「ミサワ デザイン2009 バウハウス」に決定しました。
浅葉氏は、西武百貨店「おいしい生活」、サントリー「夢街道」、武田薬品「アリナミンA」など、数多くの広告・コマーシャル作品を手がけるほか、「トンパ文字」を筆頭に文字への造詣も深く、2008年には21_21 DESIGN SIGHTにて、文字にまつわる作品などで構成された「祈りの痕跡。展」をディレクション。この空間デザインと出品作「浅葉克己日記」においても高い評価を得ました。
ミサワホームが1996年に開設した展示スペース「ミサワ バウハウス コレクション」は、1500点におよぶバウハウスコレクションを所蔵しており、今回の受賞作「ミサワ デザイン2009 バウハウス」は、同スペースの協力のもとに制作されたポスターです。この作品は、ミサワホームのデザイン思想を表現したものですが、そのテーマ性、表現力ともに、本賞にふさわしいと評価され、今回の受賞となりました。

浅葉克己

1940年生まれ。ライトパブリシティを経て、'75年浅葉克己デザイン室を設立。サントリー、西武百貨店、武田薬品、キリンビバレッジ、ミサワホーム等数々の広告を手がける。東京ADC委員、東京TDC理事長、JAGDA会長、デザインアソシエーション会長、桑沢デザイン研究所10代目所長、AGI日本代表、卓球6段。第19回日本アカデミー賞最優秀美術賞受賞(映画「写楽」美術監督として)。紫綬褒章受章。2008年21_21 DESIGN SIGHTで「祈りの痕跡。」展を開催。同展の出品作品「浅葉日記」で二度目の東京ADCグランプリを受賞。

展示内容
受賞作「ミサワ デザイン2009 バウハウス」を含む、「ミサワ バウハウス コレクション」をテーマにしたポスターを中心に、雑誌『卓球王国』に連載中の「ひとりピンポン外交」リメイクバージョンや、2006年に日本で開催されたAGIデザイン総会でのグラフィックもあわせて展示。
*AGI=Alliance Graphique Internationale(国際グラフィック連盟)

亀倉雄策賞について
1997年急逝した亀倉雄策の生前の業績をたたえ、グラフィックデザイン界の発展に寄与することを目的として遺族の寄付により設立された亀倉雄策賞。亀倉が設立から長く会長を務めた社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)に運営を一任し、毎年国内賞「亀倉雄策賞」を、さらに3年に一度「亀倉雄策国際賞」を授与する。「亀倉雄策賞」は『Graphic Design in Japan』応募作品の中から、「亀倉雄策国際賞」は富山県立近代美術館で開催される「世界ポスタートリエンナーレトヤマ」の応募作品の中から、最も優れた作品の制作者を表彰するもの。「いつになっても東京オリンピックの亀倉と呼ばれること」を嫌い、亡くなる直前まで「今」の仕事で若い世代と競い、グラフィックデザイン誌『クリエイション』の編集を通じて、グラフィックデザインの芸術性、本質を追求した亀倉の遺志を尊重し、普遍性と革新性をもったグラフィックデザインを顕彰していく。賞金はいずれも50万円。賞状は佐藤卓によるデザイン。

これまでの亀倉雄策賞受賞者
第1回 田中一光/第2回 永井一正/第3回 原研哉/第4回 佐藤可士和/第5回 仲條正義/
第6回 服部一成/第7回 勝井三雄/第8回 受賞者なし/第9回 松永真/第10回 佐藤卓/
第11回 植原亮輔/第12回 浅葉克己 
※全て敬称略

主催
クリエイションギャラリーG8

共催
社団法人日本グラフィックデザイナー協会 亀倉雄策賞事務局

協力
ミサワホーム株式会社 ミサワ バウハウス コレクション

受賞のことば
亀倉雄策賞ありがとうございます。深く感謝いたします。
先生から37年前にいただいた名著、『デザイン随想 離陸 着陸』のぶ厚い本を久しぶりに読み返してみた。先生直筆の万年筆のサインも薄くなっていた。礼状が来ないと先生が怒っているという噂を聞いて、あわてて礼状を書いたことを思い出した。巻頭の粟津潔さんとの対談にはタイポグラフィに関する重要な発言があったり、「一冊の本(バウハウスと私)」の章では、19歳の時に神田の古本屋で見つけた、ハーバート・バイヤーの表紙で有名な『STAATLICHES BAUHAUS IN WEIMER 1919–1923』に、自分の運命がひそんでいるように思えてならなかったと記されている。この本は重要なのか、いつもガラスケースの中にあり中味を見ることは出来なかった。幸運にも2009年8月20日に元大分県立芸術文化短期大学学長の利光功さんの手によって翻訳が完成し、バウハウス創立90周年の記念すべき年に刊行された。20世紀の芸術文化・教育文化の輝ける一事跡であるバウハウスを改めて見直す端緒になるなら、訳者としてこれにまさる悦びはない、と利光功さんは書いている。
「われわれはどこへ行くのか。そして何をするのか?」僕たちアートディレクターやグラフィックデザイナーは、毎日この言葉を口にして唱えなければならない。まったく形のない事柄に形を与え、人々に伝えていかなければならない。以前から粟津潔さんを中心に研究会を行っていたミサワホームが、ヨーロッパのコレクターたちが収集した作品を核として「ミサワ バウハウス コレクション」を誕生させたのは1989年。現在、1,500点に及ぶ作品群を持つ。バウハウスは、1919年–1933年のたった14年間しか存在しなかったが、デザイン教育でこれ程世界に伝播した教育はない。東洋的なモノ。西洋的なモノ。この両方をうまく形に出来るのは日本しかない。そんな気持ちで3年間バウハウスのポスターを創り続けている。