キュレーターとして面白くしたいよね
「私の劇場」(2001年12月17日まで開催)という展覧会を僕がキュレーターとなってやっているんですよ。今年の6月くらいに、この南青山の「ポスターハリスギャラリー」のロゴデザインを頼まれてね。それでギャラリーにこの企画の話をしたところ、ぜひやりたいと。自分が印象に残った芝居とか、観たい芝居、あるいは劇場の経営者だったり、役者だったらどんな劇場をつくりたいか、架空のものでもいいんだけど自分が劇場をつくったらどうなるか、そんな仮説で12人の作家(合田佐和子、林恭三、伊藤桂司、北見隆、下谷二助、和田誠他)に依頼したんですね。で、その展開が多様性をもつように、立体作品と同時にポスターやチケットも作ってほしいと頼んでいるんです。僕は世界で最初につくられたドラキュラ映画「ノスフェラチウ」というのをモデルにそれを人形劇に設定して作りました。実は高校生のときに人形劇の劇団をつくっていたんですね。これはそのときのノート、人形の表情とか、構造とか、型紙とか自分でいろいろ描いてるんだよね。細かく描写されてるでしょ。展覧会を企画することってクリエイティブだと思う。どの作家に頼むか、そしてどんな作品が届くか、暗算をするわけでしょ。それが実際に上がってくるのを見るのも楽しいし、すごく面白いよね。
作りたいモノ、売れるモノ
1960年代に伊坂芳太良さんといっしょにイラストの傘を作ったんだけども、その傘もなくしてしまったし。ちょうど伊坂さんの展覧会もあったので、今年のリクルートの年末展では、当時と同じモチーフのスフィンクスでいこうと決めていましたね。男性にも使ってもらえるように渋めの配色にして。実際、傘がとてもいい出来だったのでちょっと興奮しましたよ(笑)。あとは一般の方に好まれるかどうか。
モノを作るとき、僕たちにとって幸福なのは自分のテイストを100%出して、みんなに喜んでもらえることなんだよね。ゴッホやセザンヌのように死んでから作品が認められるのは、描き手にとっては悲惨なことだと思うんですよ。今、感じているものを描いていて、今の人に伝わらなくて、10年後に認められてもね。それが売れないってことは「宇野亜喜良」は価値がないってことでしょう。僕の画風は少数派だと思うんだよね、大衆的なものではないんだけど、でも売れないと心配しちゃうよね。昔はそんなこと思ってなかったんだけどね。「宇野亜喜良」らしさを求められると、つい女の人の顔なのかなって思うんだけど。色紙にサインするように物を作るのではなく、その時その時で、製品として魅力あるものにしたい。最近、製品と自分の融合点は何かって考える、らしさだけだとつまんないんだろうね。理屈っぽすぎるかな(笑)。イラストレーター全てにはあてはまらないかもしれないけど、マゾヒストだって思うのね。 絵描きのように自分から何を表現したいっていうのではなく、テーマを与えられて描くわけでしょ。それを自分のものに取り込んで表現するときは攻撃的になれる瞬間があって、マゾヒストからサディストへ、両方味わえると思うのね。だからテーマ負けしちゃうとマゾヒストのまま終わっちゃう。そのあたり、一種のゲーム的な感じもあるよね。
最近は少女をテーマに
60年代にはわりと少女を描いていたんですよね。いままでは、あの頃の僕をずっと離れたいと思っていた。でも、今になってまたあれもやりたいなっていう気がしているんですよね。60年代、70年代回帰みたいな気分が自分の中にあって、でも少女に関しては、昔描いていた絵を越えられない。やっぱり僕が青春だったってことかな(笑)。やりたいこと? 大体やってるかな。自分からやりたいことはあんまりないんだけど、なにかやってみないかと言われてその気になることが多いかな? のっていけるかどうか。今のところ食欲があるっていうのかな、そんな感じ。好きなことをやって、お金になれば幸せですよ。
宇野亜喜良
1934年名古屋生まれ。B型魚座。名古屋市立工芸高校図案科卒業。日本デザインセンター、スタジオ・イルフィルを経て、フリー。TIS会員。日宣美特選、日宣美会員賞、東京イラストレーターズクラブ賞、講談社出版文化賞、山名文夫賞などを受賞。