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TIS「シネマ古今東西」展で「ベニスに死す」を描く

2003.7.1 火

映画「ベニスに死す」を描いて
この映画は単純に美しい映画っていうだけじゃなく、死の影が潜んでいて、それが怪しい美しさになっている感じがします。絵を描くにあたって難しかったのは、既に映像が美しいから、映画のイメージを崩さずに、役者や建物や街の雰囲気などにこだわりつつ、自分の絵のスタイルで表現すること。ただ似顔絵みたいにならないように、その微妙なラインで苦労しました。
最初、少年だけをクローズアップして描こうと思ったんですが、なにか片手落ちな気がして、人生の春を表現している美少年タジオと死を前にしたアッシェンバッハを、ふたつでひとつみたいな感じで描きました。若返りの化粧をしたアッシェンバッハが、染めた髪から黒い汗を垂らしながら少年の完全な美しさの前で苦悩する場面をイメージしています。
「ベニスに死す」は学生時代に初めて観て以来、時間を置いて何度も観ています。舞台は1911年。まだ私の好きな世紀末の退廃的な雰囲気が、街や家具、衣装など色濃く再現されていて、見る度に違った発見がありますね。帽子や眼鏡も度々変わっていたり、ホテルのインテリアとかもいいんです。ヴィスコンティの映画は描いている世界が耽美的で好きな監督です。「地獄に堕ちた勇者ども」「ルードヴィヒ」「家族の肖像」とか。役者もいいですよね。
私は夢を基に絵を描くことが多いんですけど、映画はそれに近い感じ。それを基にまた違う世界をイメージしていくから、影響を受けることも多いです。

1点を制作するのに4回描く
絵を描くときは、まず、おおまかなラフを描いて、それをもとに下絵を起こします。そして下絵の紙の裏側全面を鉛筆で塗って、下絵と本番用の紙を重ねて下絵の線をなぞっていくと、本番の紙になぞった線が転写されます。本番では、まず面相筆とペンを使って線を描き、リキテックスの絵の具で色塗りをして完成。1点を制作するのに4回描いていることになりますね。ペースとしては、だいたい下描きに1日、トレースに1日、色塗りに2〜3日。細かい作業なので、疲れることは疲れます。でも、人に見せるものなので、自分で納得できるものでないと恥ずかしいし、手は抜けません。ただ、思ったように描けなくて悩むことはあります。体調のせいなのか、線がうまく引けないときや、何日か休んだ後では、筆がうまく動かないときがある。失敗することもあります。出来上がって、表情が良くないときは、最初から描き直す。基本的にホワイト修正はせず、白は紙の白地を活かしています。目を描くのが一番難しいですね。いつも緊張するんですけど、下描きと違うものになったり、それでもまた別な表情が出たりして、いい時もあるんですけど。これは一発勝負ですね。

様々なスタイルを経て平成耽美主義へ
大学ではモダンアート専攻だったんですよ。ウオーホルとかフランク・ステラみたいな抽象絵画だったんですけど、反動で家に帰ってイラストレーションを描いていました。就職もしなかったので、カレー屋でアルバイト生活。吉祥寺の民族音楽のライブハウスみたいなところで1年間ぐらい料理を作って、同時にプラネタリウムの星座のヘラクレスとか、ちょっとリアルな絵を描いて生活して、お金が貯まると個展をやった。コンペではチョイスで2回ぐらい入選したのと、日グラでも入選とか準入選とか、未だに賞には無縁です(笑)。
当時は本当にいろいろ描いていました。メランコリックなレトロ調の男性像の絵が富士通のコマーシャルに使われて、それを見た人から依頼が来たり、連鎖的に仕事が入ってくるんで、そればかり描くようになっちゃって。そのうちもっと脳天気なビジネスマン風とか。バブルの絶頂期で仕事も多く、クライアントの要求に応えるように描き続けていましたが、そんな生活に嫌気がさしていました。その頃、澁澤龍彦さんの展覧会(1994年)を見て思い出したんです。自分が高校時代に好きだった19世紀末のビアズリーとかクリムトや浮世絵。それが全部一緒になって自分のスタイルが見えてきた感じがしたんです。それからは、仕事もほとんどしないで作品を描いて、今のスタイル(平成耽美主義)に少しずつ辿り着いた。はじめの頃はまったく仕事にもならなかったですが、これしか無いと描き始めました。 G8でやった最初のTISの「一冊展」(1995年)は、私の中では重要でしたね。あれで作品集を作りたいって話が出たし、3年後のG8の個展につながった。個展は最初は渋ってたんですけどね。「やっても人は来ませんよ」って(笑)。でもちょうど作品集の出版と「イラストレーション」誌の特集とで、いろいろ反応があって、自分でもビックリしたんです。あの個展で今のスタイルの絵を一気に出した感じでした。TIS展は、もう9回目になるんですか? あれは、普段の仕事とは違う自分の実験ができたなと思っています。それがだんだん普通にできるようになってきて、最近は楽しんでやっています。

山本タカト

1960年秋田県生まれ。'83年東京造形大学絵画科卒業。'98年「山本タカト展〜平成耽美館」クリエイションギャラリーG8で開催。作品集に『緋色のマニエラ』『ナルシスの祭壇』『ファルマコンの蠱惑』『殉教者のためのディヴェルティメント』『ヘルマフロディトゥスの肋骨』『キマイラの柩』『ネクロファンタスマゴリア』(エディシオン・トレヴィル刊)、エッセイ集に『幻色のぞき窓』(芸術新聞社刊)がある。TIS、国際浮世絵学会会員。