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「スーパーリアルイラストレーション展」出品作家インタビュー

日宣美特選からイラストレーターに
僕は子供のとき勉強がダメで図画工作だけが「5」。小さいときから抽象的な絵が理解できなくて、リアルな絵を描いていました。ちょこちょこ賞はもらってたけど、パッとしなかった。美術大学を落ちて、すぐに仕事に役立つと思って阿佐ヶ谷美術学園。卒業後はデザイン事務所で2年ぐらいデザイナーとして勤めていたけど、イラストレーターになりたくて、旭通信社に転職。そんな時、日宣美(日本宣伝美術会)で賞を狙っていたアートディレクターから声をかけられ、1年かけて出品した。何かきっかけがないと世の中に出られないでしょ、当時は日宣美が登竜門だったから。これで特選をとった68年、世界が変わるかなと思ったら何も変わらない(笑)。翌年、再度出品して2回目の特選を取った。そこからは変わったね。僕はフリーになって、やりたいと思っていた「NOW」っていう雑誌に売り込んですぐに仕事をもらった。このあたりの仕事でADC賞を70年・71年と取った。とんとん拍子でした。新しかったのかな、僕のイラストレーションが。その後、雑誌の挿絵をやっていた時代が一番忙しかったと思うんだけど、勢いで描いていた。大体2日くらい予定を取って、アイデアを決めてノリで描いちゃうわけ。そのほうがいいんですよ。今はもうノリないよ(笑)。一点仕上げるのに3週間以上かかっている。

力のあるADとの仕事で
田中一光さんとは「櫻の園」から始まって、十数点お芝居のポスターを作ったけど、イメージだけもらって割と自由に描かせてもらいました。でも、最終の要望は高いから、顔を直したり、全身描いたけどバストアップしか使ってもらえない事もあった。田中一光さんの場合はポイントだけ描き込んで後はエアーブラシ。僕の表現スタイルに合っていました。亡くなる直前の仕事では、直しの依頼にわざわざ事務所まで来てくれて、恐縮しましたね。石岡瑛子さんとは映画「地獄の黙示録」から。石岡さんは本当に完璧主義者だから、日本向けのポスターを作るのにニューヨークまで映画を観に行ったんですよ。このポスター、僕が最初に描いた波は一つだったけど、物足りないからってことで、増やしたんです。僕は途中段階でチェックされるのがいやなんだけど、石岡さんは「最終形まで予測できるから大丈夫」って、ちょっと描いてはチェックしていました。その後、「ドラキュラ」、「パール・ハーバー」と続いて。この頃、石岡さんはニューヨークにいたんだけど、僕が制作している間、そばにいないと僕がのめりこめないだろうって、わざわざ日本に。その間チェックの嵐で、3週間であがる予定が、40日くらいかかった。石岡さんもずっと東京に詰めて大変だったと思うけどね。最終的には石岡さんが思っていたものが出来たって喜んで持っていったけど、結局それはポスターにならなかった。彼女は単身アメリカに渡って言葉も独学。自分でコッポラと親しくなってついに「ザ・セル」の衣装担当までした。すごい人ですよね。この映画、すでに写真のポスターがあったのに、彼女の要望で僕のイラストレーションのものもつくったんです。映画では細部までわからないと言うと、石岡さんが「私がもっと詳しいもの描くわ」って衣装のデザイン画も見せてくれた。B1ポスターだから原画はB3で描いた。ところが自分が作った衣装だから、宝石の感じとか、もっと布地の質感を出してって。そんなこと言われても、もう細い筆が入んない(笑)。石岡さんの場合は端から端まで描かせるからね。「滝野さんはどんなにメチャクチャなアイデアでも、上質に仕上げてくれる」って。また一緒に仕事したいと思う。本当にいいものしか認めないから、それについていけない技術だったら絶対ダメだと思う。石岡さんには本当に感謝してるし、財産だと思う。仕事は大変だったけど、今一番尊敬している人は、石岡さんですね。

これからもずっとリアルイラストレーション
描くまでがすごくいやだね、面倒くさい。ただ、やり始めると楽しくなる。頭の中にイメージはあるけど、 到達点が見えなくて、筆を放り投げたいときもある。それをクリアしていくのが面白い。 そして僕の絵がB倍のポスターになるっていうのが本当に嬉しいし、生きがいを感じる。好きな絵を描くというのは全然面白くない。 絵描きさんとは違うんだよね。束縛されないと燃えないっていうか。広告代理店にいて、 デザイナーといっしょにやってきたせいもあるのかな。それが今困ったなぁと思ってるよ、 やることないんだもん(笑)。広告出身だから、景気悪いとダメなんだよね。日本が景気良いときにイラストレーションが 一緒に盛り上がった感じがあるんだね、今考えると。イラストレーターもタッチが時代によって変わるじゃない。僕は、 変えたらそこに僕の主張が盛り込めないと思う、物足りなくて。80年代にアメリカから来た「日常的なものを細かく描く」 というリアルイラストレーションが流行したけど、見たままを描くという仕事はあまりしてこなかったし、好きじゃない。 何かアイデアが欲しい。一生懸命やってるだけで、僕は変わらず時代が過ぎていっただけ。亀倉雄策さんに 「今はみんなコロコロ絵が変わってしまうんだけど、滝野君は絵が変わってないでしょ、 そこが素晴らしいんだ」って言っていただいたんですよ。僕はそれを信じています。

滝野晴夫