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展覧会・イベント

タイムトンネルシリーズ Vol.9

矢吹申彦「東西東西」展

  • 会期:1999.5.10 月 - 6.4 金
  • 時間:11:00a.m.-7:00p.m.(最終日は4:00p.m.まで) 土曜・日曜・祝日休館 入場無料

「タイムトンネルシリーズ」は、第一線で活躍するクリエイターの若き日にスポットを当てる展覧会です。ガーディアン・ガーデンでご紹介する、学生時代の習作やデビュー当時の作品など、今となってはほとんど日の目を見ない作品には、作家の創作の本質ともいうべき発想の原点、表現手法を理解する上でのヒントがたくさん隠れていると思います。また、クリエイションギャラリーG8との共同開催によって、現在の作品と対比させながら、作家の全体像をご紹介しています。
25歳にして『ニューミュージック・マガジン』でデビューした矢吹申彦。明るく静止した不思議な空間に広がる青空、人、物。単純化されたフォルムとシンメトリックな構成で独自の世界を築いてきました。アメリカン・フォーク・アートから出発したイラストレーションは変容しつつ、「和」の世界へと変わってきています。今企画では、グラフィックデザイナーであり、イラストレーターである彼のデビュー当時の作品から近作までを紹介し、創作のルーツとその変遷をたどります。
クリエイションギャラリーG8 「和風(墨客画)もいっしょに」
1980、90年代に手がけた『潮』、『教育と施設』、『東京人』の連作表紙シリーズをはじめ、ポスター、装幀本と、7年前から描き始めた岩彩 作品などを一挙にご紹介いたします。
ガーディアン・ガーデン 「音楽(ロック)といっしょに」
17歳でグラフィックデザイナーを目指し、好きだった音楽・ミュージシャンとの仕事を通 じて、独自のスタイルを形成してきた1970年代までの約20年間を振り返ります。学生時代の習作から、和田誠氏の手伝いで始めた『スイング・ジャーナル』誌の表紙。その後フリーで始めた『ニューミュージック・マガジン』誌表紙、音楽関係や広告ポスター。また、河村要助、湯村輝彦両氏と共に活動した「100%スタジオ」時代の作品。イラストレーションは原画よりも印刷することに意味があると始めた「複画」シリーズなど、貴重な作品の数々をご紹介いたします。

矢吹申彦

1944年東京生まれ。'65年より桑沢デザイン研究所に2年間在籍後抹籍。'67年よりフリーランサーとして、デザイン、イラストレーションを担う。'75年より個展多数。現在、宮沢賢治学会、東京俳句倶楽部、TIS会員。作品集に『矢吹申彦風景図鑑』、『猫づくし』、料理画文帖『おとこ料理讀本』等がある。最新刊は『東京の100横丁』。

展示内容
クリエイションギャラリーG8 「和風(墨客画)もいっしょに」
・連作表紙シリーズの原画 『潮』(1981~90年)、『教育と施設』(1983年~)、
『東京人』(1992~95年)
・ポスター作品、装幀本50冊、版画、原画作品
・岩彩作品(1992年〜、初公開) など

ガーディアン・ガーデン 「音楽(ロック)といっしょに」
・阿佐ヶ谷美術学園時代の「展覧会ポスター」(1963年)
・桑沢デザイン研究所時代の仕事『スイング・ジャーナル別冊』表紙原画(1966年)
・「MJL(モダン・ジャズ鑑賞連盟)」広告(1967年)
・『ニューミュージック・マガジン』全表紙(1969年~1976年)
・1970年代に手がけた音楽・広告ポスター、「100%スタジオ展」ポスター
・「複画」シリーズ全14点(1976年~) など

タイムトンネルシリーズ小冊子
この小冊子は、タイムトンネルシリーズの展覧会開催にあわせて制作したもので、 学生時代の習作やデビュー当時の作品など、今となってはほとんど日の目を見ない 作品に秘められた、作家の創作の本質ともいうべき発想の原点をさぐり、作家の 全体像をご紹介するものです。
体裁:天地210×左右148mm、全56ページ、モノクロ。
価格:500円(消費税込み)

展覧会によせて/矢吹申彦
●第1会場 ガーディアン・ガーデン「音楽(ロック)といっしょに」
で、10代半ば。もともと、日本の文学的風土や絵は好きだった。でも、デザインというジャンルを知った時に何かが決まった。 次はネオ・ダダとポップ・アートだったかしらん。映画ならヌーヴェル・ヴァーグ。芝居はテント劇場の夜明け前。音楽はモダン・ジャズ。 同時に現代音楽もバロックも。やがて、ビートルズ。そして、ロック、ファッション……。しかし、デザインへの気持ちは変わらなかった。 だからだろう。デザインの仕事も、先ずは音楽関係が主なところとなった。

●第2会場 クリエイションギャラリーG8「和風(墨客画)もいっしょに」
で、いつの間にか30代。仕事は自然に流れていたが、自分の内では少しずつ何かが変わっていった。一番はファッションから離れたことかしらん。それは、仕事でも、自身の身の回りでも。代わりに、文学的とは言わないまでも、昔(今世紀前半)の日本へと傾いていった。少年期から好きだった落  語と相撲。そこから、芸人、職人への興味。やがて、俳句から文人世界へ。とうとう、水墨、岩彩に手を染め、文人画ならぬ墨客画・・・なぞという矛盾だらけの言葉を編み出すところとなった。

主催
クリエイションギャラリーG8 ガーディアン・ガーデン