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タイムトンネルシリーズ 北井一夫展「時代と写真のカタチ」インタビューより

北井一夫氏は、日本を代表するドキュメンタリー写真家です。今をときめく蜷川実花さんや川内倫子さんが受賞した 写真界の芥川賞ともいえる木村伊兵衛写真賞の記念すべき第1回目の受賞者です。60年代後半、成田空港建設に反対する地元農民たちの 生活を撮影した『三里塚』、70年代の日本の農村の暮らしぶりに迫った「村へ」、80年代、新興住宅地船橋の団地の生活を追った 『フナバシストーリー』などで知られています。近年では、北京を撮影した写真集『1990年代 北京』を発表するなど内外で精力的に活動しています。 今回は、展覧会小冊子のロングインタビューの中から、一部をご紹介します。

『三里塚』1969-1971年
ここに出てくる風景は、今は全部成田空港の滑走路の下です。行ってすぐの頃は、まだ空港工事も始まってなくて、空港公団が測量に来るとドラム缶をガンガン叩いて、みんな集まって反対に行く。それは闘争とは言っても、どこか牧歌的な感じでね。僕は田舎の暮らしを知らないから、季節に合わせて自分たちの生活をしている農民を見て、いいもんだなぁって感動してた。
1971年の強制代執行の時は、写真を撮りたくて、最後はつかまってもいいやと思って、反対同盟の人たちが地下に掘った穴の中に、一緒にたてこもったんです。その頃、僕は結婚してて、子供も二人いました。次女はその直前ぐらいに生まれた。で、皆はそれを知ってたから、機動隊が突入してきた時、お前、子供生まれたばっかりで刑務所じゃみっともない。裏から逃げろっていうわけ。僕だけ逃げるのも裏切るみたいで抵抗あったけど、いいから行けって逃がしてくれた。そんな人間味のあるところでしたね。そのときの地下にたてこもった人たちの写真は、僕だけが撮れた大スクープ。

「村へ」1973-1979年
「アサヒカメラ」の「村へ」の連載は最初1年の予定だったけど、評判がよくて、引き続き「そして村へ」と4年間やりました。連載でやっていくからには田舎の風景を続けるよりも、生活の中の一つ一つの物事に焦点をあてたほうがいい。テーマも「湯治場」とか、「田舎道」とか、「嫁入り」とか、生活の中の具体的なことに絞っていきました。 僕が出会った人たちは、みんなおおらか。おじさんもおばさんも一緒に五、六人でお風呂に入る、まさに裸のつきあいですよ。昔の東北の農家は、土間があって、囲炉裏があって、そのすぐ脇にお風呂がある。寒いからお風呂の熱気も部屋にくるように考えてあった。
で、お客がくるとその囲炉裏のあたりで話すから、お風呂に入ってるのが丸見え。プライバシーなんてないんです。 70年代後半っていうのは、離村した農家がものすごく多かった。あっという間に社会も意識も変わった。それまで畑仕事をしていたおじいさん、おばあさん達が働けなくなったら、風景もがたがたっと変わって悪くなった。一番歴然としていたのは、畑、田んぼが目にみえて汚くなったこと。昔はどこの畑も、自分の家の庭みたいにきれいにしてたけど、風が吹けばビニールの切れ端が飛んでたり。そんな風景を目の当たりにして、終わり時かなって思い始めた。

『フナバシストーリー』1984-1987年
東京の周辺都市はどこもそうだけど、船橋も八割は新住民なんです。地方の農村は跡継ぎとして長男だけが残り、次男、三男はみんな都会にでてくる。船橋はまさに、そういう次男、三男の世界。撮り始めたのは船橋市からの依頼がきっかけでした。 新興住宅地の中でも団地を中心にしたんだけど、壁は白い、建物は高層。今までの村とはまったく違う価値観の中で撮ることになったんです。僕がやりたかったのは、その軽さを表現すること。薄暗いところではなく、ぱあっと明るい光の中での生活みたいなものを撮りたい。だけど結構てこずりました。頭では軽い存在感と思っても、写真に写らない。市からの依頼は2年間。方向性がつかめてなくてうまくいかなかった。それでお願いして契約を更新してもらったんだけど、それからも……。結局、撮れたと思えたのは最後の半年。悩みながらひたすら歩いてたら、団地の間の通路をネコが行ったりきたりしてたり、家のお風呂の煙突に洗濯物を干してあったりとか、そんな何気ない風景が目に付いて撮ってみたら、なんか軽いものが軽いまんま写真になってたんです。 それまでの「村へ」なんかを撮ってる頃は、存在感を出すために、ややうつむき気味にカメラを構えるのが身についていたんだけど、それをやめたんです。結論から言うとほんの数度カメラが上向きなんですね。そんなこと口で言っちゃうと簡単なことなんだけど、写真家にとっては大変な違いなんですよ。

テーマ主義
写真家にとって致命的なのは、テーマを失うこと。若いうちはそういうのがあんまりない方が使いやすいから仕事がよくくる。だけど年とってくるとね、テーマを持たないで、仕事が減ってきたらもう耐えられない。写真家であることの根拠がなくなるんですよ。だけど、自分はこれを撮るんだと思ってると、不思議なもので、なんとなく貧乏も耐えられる。それは60歳間際にしてわかってきたことなんです。

北井一夫

1944年中国鞍山生まれ。1965年日本大学芸術学部写真学科中退、同年写真集『抵抗』(未来社)を出版。 成田空港建設に反対する農民を撮った『三里塚』(のら社)で日本写真協会新人賞受賞(1972年)。 『アサヒカメラ』に連載した「村へ」で第1回木村伊兵衛賞受賞(1976年)。写真集に『境川の人々』(浦安町・1978年)、 『新世界物語』(現代書館・1981年)、『フナバシストーリー』(六興出版・1989年)、『1970年代 NIPPON』(冬青社・2001年)、 『1990年代 北京』(冬青社・2004年)など。