第19回写真「1_WALL」グランプリ受賞者個展
田凱は、かつて石油の産出で栄えた町が石油の産出量の低下とともに廃れていく光景と、そこで生活する人物を撮影した作品、「生きてそこにいて」で第19回写真「1_WALL」グランプリを獲得しました。審査員からは芸術性の高いドキュメンタリー写真として、高く評価されました。
本展では、グランプリ受賞作品に、新たに撮影した写真を加え、再構成し展示します。
荒涼とした風景の中に佇む西洋風の彫刻、人気のない建物、新婚のカップルのポートレート、ベッドに腰掛ける青年の後ろ姿。故郷が少しずつ変化していく様子を、田は5年間にわたり、断続的に撮影し続けてきました。被写体から一定の距離感を保つように撮影された写真たちは、ある限定された都市の記録に留まらず、普遍的な故郷の姿を映し出し郷愁を誘います。それと同時に、盛衰を繰り返す世界のあり方をも表現しているかのようです。
会期中の7月31日(水)には、美術批評家の沢山遼さんをゲストに迎え、現代美術の観点から本展を掘り下げてお話いただきます。グランプリ受賞から1年後の個展を、是非ご覧ください。
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展示に寄せて
遠い夏の日、家の近くで、石で遊ぶ僕がいる。将棋をやってるように見えるが、それは独自のコマの動かし方だった。
突然、横から、同級生が突っ込んできて、僕のコマを拾い、近所の窓に投げる。
ガシャーンと音がして、逃げ出すふたり。
公衆浴場の表の人だかりに身を隠すと、ある女性がこの中で変死したとの井戸端会議が、耳に入る。容疑者はすでに逃走したが、被害者は〇〇家の娘だ、と噂に聞く。
窓を割られた家のご主人は、のちに中学校で会ったら、英語の講師だった。英語を猛勉強する。
数年後、上海で再会した幼馴染は自分はホモセクシュアリティだと告げた。僕は彼が繊細な心の持ち主だと気付いていた。彼は、幼い頃に母親が働いていた病院が印象深いと回想したが、その病院は地方企業に早々に買収されたが、患者数減少でとうとうつぶれてしまった。当時の公衆浴場事件で、逃げた容疑者は病院関係者だった。今頃どうなってるのかは不明らしい。
小さな場所だったが、不思議にもなんでもあった。
人の繋がりが強いコミュニティで、居心地が良いと言う人もいれば、悪いと言う人もいる。
廃校になった学校のキャンパスを撮影しに向かった。親の知り合いが現れ、廃校を買い取って運動場で養兎をしたという。兎の群れが教室に詰めかける夢を見た。人がどんどん去って行く、いずれこの町は自然に戻る。
田凱
審査員より
ノスタルジーとは、遠く離れた故郷や、過ぎ去った時を想い、懐かしむ心性のことだ。「生きてそこにいて」は、まずはノスタルジーをめぐる作品といってよいだろう。ある中国の油田都市が主な撮影地であり、それは現在東京に暮らす作者の故郷だからだ。
油田の町として発展し、石油産業の衰退とともにかつてのにぎわいを失ってしまった故郷の現在の姿とともに、その地でともに育った友人たちの現在にも、レンズは向けられている。彼らは、作者が故郷について抱くノスタルジーを共有する存在だ。一方で、それぞれ違った道を進んだ彼らの今の姿は、彼らが共有する過去の時間からの、それぞれの距離を示している。
彼らはすでにずいぶん遠くまで来てしまった。その方向もまちまちだ。使われなくなった建物に、それまでとは違う時間の流れが堆積するように、これらの写真に現れる風景や人々には、さまざまに流れた時間が重なりあい、遠く近く響きあう。それはまた写真を見る者の内にある個別のノスタルジーとも共振しはじめるだろう。
増田玲(東京国立近代美術館主任研究員)