1. TOP
  2. アーティスト
  3. INTERVIEW
  4. 普段は目に見えない電気配線の姿を力強く描き出す

普段は目に見えない電気配線の姿を力強く描き出す

2011.12.1 木

電気工事業を営む家で育ち、自らも電気工事士として働いている石原一博さん。第4回グラフィック「1_WALL」の公開審査会では、「技術的に上手いとか下手というのを越えて、グッとくるものがある」「醸し出す雰囲気は今っぽくないが、それがすごくオリジナリティになっている」と審査員に評価され、“好き”という純粋な気持ちと時代に逆行したような男らしい力強い表現が目を引き、見事グランプリを射止めました。配線のかっこよさに引かれ、独学で絵を描き始めたという石原さんに、描き始めたきっかけや作品に対する思いなどを伺いました。

巽電気から広告会社へ
工業高校を卒業して、すぐに実家の巽電気に入りました。巽電気ではもともと遊園地のメンテナンスや、電気設備を一から作ったりしていた。青森から九州まで全国で仕事があって、よく親父と二人で車でまわってました。でも、どんどん暇になってきて倒産寸前になって、やることがなくなって……。それで、CMとかけっこう好きだったので、広告の世界に興味を持って、学校に行くことにしたんです。大阪デザイナー専門学校で2年間学んだあと、大阪の広告会社に入って、そこに4年半くらいいました。
会社では、新聞の広告とかを作ってました。面白かったけど、3、4年経って、夢と現実のギャップみたいのを感じ始めて……。もっと華やかな世界やと思ってたんすよ。B倍ポスターをばんばん作ったり、旬なタレントを使ったりとか、もっともっとかっこいいものが作れると思っていたけど、そんなことはない。でもまあこれはこれで楽しいかなって思っていたときに、親父にまた巽電気を手伝ってほしいって頼まれた。

広告会社から巽電気へ
巽電気は倒産寸前までいったあと、親父がひとりで細々と続けていて、操作盤を作りはじめたんです。そのうちそれが軌道にのってきて、忙しくなってきた。そんなときに、親父が目の病気にかかって、あまり見えないようになってきて、手伝いを頼まれるようになった。それで平日は広告会社で働いて、土日とか休みの日に手伝ってたんです。最初は正直小遣い欲しさで……。アルバイト代をくれるので、それでバイク買おうとか、不純だった(笑)。でも操作盤の配線とか、手を使ってものを作ることがだんだん楽しくなってきた。1年その状態を続けていたけど、デザイナーよりこっちのほうが向いていると思えて、もう会社を辞めて電気工事を仕事にしていこうと真剣に思ったんです。迷いはなかったですね。ちょうど会社では自分の納得いかないことばかりが続いた時期でした。けっこう上司に楯突いたりもしていて……。会社を辞めたときは、自分でも分からないけど一生電気屋でやっていくんだろうなって覚悟した。

電気配線のかっこよさに目覚める
広告会社と巽電気を両立していた頃から、電線自体や配線されたものがすごくかっこよく見えてきた。高校卒業してすぐに巽電気に入ったときは、かっこいいと思わなかった。広告会社を経たことで、そう感じるようになったんだと思う。会社できれいな写真とか整えられたデザインを目にしていると、巽電気の薄暗い工場や油くさい工具などはその真反対にあるように見えて、魅力的に感じたのかもしれないですね。広告会社にいたときに、仕事で線路図みたいな電線を描いたんです。Macで描いた線を光らせたりして、評判よかったんすよ。そのときは思わなかったけど、電線を好きになっていった片鱗がみえるんですよね。
電線がきれいとか、この配線かっこいいなと思っても、普段は外から見えないものだからあまり知られることがない。このかっこよさを知ってもらいたいと思って、描くようになった。自分の存在自体を認めてもらいたいというのもあったと思う。デザイナー時代もそういう気持ちがあったと思うんです。どっかに埋もれていく感じがしていて、僕自身が飛び出すにはどうしたらいいんだろうと考えていた。配線を描くようになって、それが認められると、自分の存在自体も認められた気がしてうれしかった。最初は見たままを描いていたけど、存在しない電線を加えるようになったり、今ではほとんど想像で描いている。実際の配線はもっとシンプルなので、ぼくが描いているのはほとんどが無駄な線です(笑)。

絵は独学
今はアクリルで描いているけど、最初は色鉛筆でした。その時の絵を「1_WALL」に送ったら、ぼろかすにいわれて……。これは違うんだなと思った。今みたいに黒地にリアルな絵ではなくて、背景は白で軽やかな絵だったんです。ある方にそれを見せたときは、けっこう反応がよかったんですけど、リアルに描いてもおもしろいんじゃないという話になって、それでアクリル絵の具に切り替えて描くようになった。油っぽいというか、臭いを感じさせる絵を描きたかった。操作盤をいじるときなどは、オイルを使ったりするので実際臭うんです。そういう雰囲気を出してみたくて、キャンバスを黒いジェッソで塗ってから、まずは白の絵の具で描いて、その上に色を塗っていく。ある程度色を塗ったら、また黒く塗って、それを削っていきながら色を塗り足して描いています。何度か繰り返すことで重厚感を出して、自分のイメージに近づけます。
絵はほぼ独学。いまだに自分の描き方が正しいのか、よくわからない。専門学校に行っているときに、デッサンはしました。広告を作る課題でも、写真を使ったらだめなんです。手描きなんですよ。だからリアルなイラストとか描いてそれを使っていました。広告会社に入ってからは、ほとんど描いていません。
もともと絵を描くことは、小学生のときから好きでした。漫画家になりたかったんです。ドラゴンボールの世代で、悟空とか登場人物を模写したりして、クラスメイトからも依頼が来るんです。「石原くん、描いて」って。締切に追われる日々でした(笑)。中学生以降は絵は描かなくなったけど、「種をまく人」で有名な画家のミレーが好きでした。好きになった理由は、働いている人を描いているところ。農民とか、労働者とか。「落穂拾い」を模写したこともありました。ぼくが描いているのは電線とか配線されたものだけど、これもいってみたら働いているもの。コンピューターや照明や空気調節など、表からは見えないけどそれぞれに取り付けられた電線の力によって稼働している。絶えず働き続ける電線は、今の世の中になくてはならないもの。その力強さや美しさをぼくの絵で伝えられたらと思います。

石原一博

1980年生まれ。大阪デザイナー専門学校デザイン学科卒業。
イラストレーター、デザイナー、電気工事士。

 

[受賞]
2009 第168回ザ・チョイス準入選(菊地敦己氏選)
2010 HB GALLERY FILE COMPETITION 2010 大賞、東京イラストレーターズ・ソサエティ 入選
2011 第4回グラフィック「1_WALL」グランプリ

[個展]
2010 HB GALLERY FILE COMPETITION

[グループ展]
2009 AMUSE ARTJAM 2009 in Kyoto
2011 第4回グラフィック「1_WALL」展