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タイムトンネルシリーズ 「写真家・操上和美」インタビュー

朝の光とベッドのシワで一日が始まる
ロケがないときは、八時前後に起きて、J-WAVEをつける。で、カーテンをちらっと開けてその日の光を見て。それからベッドのシワを見るかな。誰がとなりに寝ているとかそういうこともひっくるめて。昼間は撮影してるか、準備しているか。CFの場合だと、ロケハン(ロケーション・ハンティング)行かなきゃならないとか、撮影の準備とか、撮ったあとは仕上げがあって編集があるとか。スチールの時は、カラーはたくさん撮るから選ぶのに時間がかかるし、モノクロの伸ばしは一日でやっと一~ニ点仕上げられる。気に入るまで何回もやり直すから時間がかかるんです。寝るのはだいたいニ時ですね。でも、ちょっと寝不足なぐらいの方がいいんですけどね。満腹でよく寝てちゃ、やっぱりダメでしょう、人間は(笑)。

仕事は、自分の時間が損か得かで決める
仕事を受けるか受けないかっていうときは、時間的な取引として損か得かって考えます。お金がいくらかはどうでもいいんだよね。なにしろ、一年に三分のニぐらいは海外ロケに行ったりしてたでしょう。俺の人生って何なんだよって、思うじゃないですか。仕事がら、公私なんてないから、全部自分の時間だと思った時に、取引として惜しくない、この人とだったら組んでやってみたいとか、あそこに行ってみたいとか、テーマがいいとかっていうことが、うまく一致するかどうか。一致すればノレるしね。

「VAN Jacket」(1971年)は現場のひらめきで
ファッションメーカーのVANは、オーストラリアロケでした。はじめの企画通りの、サーフボードを持った男が立っているというシーンを撮り終えた後、昼休みに横になっていたら、ものすごい青い空に青暗い紺碧の海、真っ白い砂、遠浅で水がぴたーって。 その層があまりにきれいなんで、ここで飛び魚みたいに人間が飛んでたらすごいな、と。その場でひらめいて。 VANの赤いTシャツがニ枚あるからニ回飛べる。ニ回飛ぶと六枚撮れるなって。その時、気付いたのは、頭で考えてコンセプトを作るのも大切だけど、現場で空気とか環境から触発されるイメージをガッとキャッチアップしたいってこと。そういう時に臨機応変に行動に移せる俊敏な肉体と精神を持っていないと、写真は撮れないなって。

自分の国境をぶち壊せ「イマジネーター・サンヨー」(1992年)
ベルリンの壁を崩そうっていうのが、まず僕の発想。世の中の障害のひとつはまず国境だと。人間はみんな、自分の中に国境を持っている。自分をバンバンぶち壊して、前に行かなくちゃ、発想を自由にして、国境、ボーダーをなくそうって。それで、電線を渡るのを撮ろうっていうことになって。その時、ちょうど革命を起こして、大統領になったハベルの国がいい、電車の電線もある、これだーってプラハに行ったんですよ。

恋ができれば写真が撮れる
ポートレートを撮るっていうのは観察力と感覚の問題。年をとったからって、人間の応用力とか観察力とかがついて、よくなるとは限らないよね。ある感覚が一番鋭利な状態にあるとき、若いときの方が、いい写真が撮れるかもしれない。年をとって、愛情が深くなるか、冷酷になるか。それもわからないでしょ。若くて血が熱いほうが情が厚いかもしれないし、年とってきたら包容力がついて優しいけども、その分だけ冷めてて冷酷かもしれないし。どっちにしても生きてるっていう情熱みたいなものが自分の中で感じられるうちはシャッターは切れると。相手とか自分とかがいとおしいと思えるうちは恋もできるし、恋ができるということは写真が撮れるということだから。

操上和美

1936年北海道生まれ。1961年東京綜合写真専門学校卒業後、『住まいと暮らしの画報』編集部入社。1962年セントラルスタジオに入社し、杉木直也氏に師事。1965年退社後、フリーランスとなる。1969年初めてコマーシャルフィルムを手がけ、以後、広告写真家にとどまらずフィルムディレクターとしても活躍する。現在、ピラミッドフィルムおよびキャメル代表。ADC会員。主な個展に、「SKY CAMEL」(ハートアート1975年)、「陽と骨」(パルコパート11984年)、「CRUSH」(原美術館 1989年)、「Big Time」(エプサイト 2000年)ほか。主な写真集に『ALTERNATES』(誠文堂新光社 1983年)、『陽と骨』(パルコ出版1984年)、『泳ぐ人』(冬樹社1984年)、『新生 市川新之助』(スイッチ・パブリッシング2000年)ほか。1987年レグノ(ブリヂストン)のCFでADC会員最高賞、1981年講談社出版文化賞、1988年毎日デザイン賞、1997年日本宣伝賞山名賞ほか受賞歴多数。