仲良く育った妹と4年ぶりに会うと、一人の大人の女性に成長し、予想しなかった変化が起こっていた。そのことに衝撃を受け、いつの間にか出来てしまった溝を埋めようと妹と正面から向き合った作品で、奥出和典さんは第30回写真『ひとつぼ展』のグランプリに輝きました。「技巧に頼らない直球の写真」「撮る必要のある写真」と評価された作品は、変化に困惑しつつも、真正面から妹を追いかけた、妹へのにじみ出る思いが伝わるものでした。インタビューでは、写真との出会いから今に至る経緯、今回の展覧会の見所などを伺いました。
写真との出会い
子供の頃は絵がすごく好きで、新聞についてくるチラシの裏に落書きばかりしていました。大学でデザイン科に入ったのは、デザインは絵を描くことと延長線上でつながると思ったんです。自分の絵が、絵画としてではなくイラストレーションとして出回ると楽しいなと思いました。でも、実際やってみると自分のやりたい絵とは、かけ離れていっている気がして。万人受けするものでないといけないのでは、と息苦しさを感じてしまいました。大学三年生の時に、写真の授業があって、「自分」という課題で自分の身の回りの風景を撮ったんです。大学までのいつも通っている道端の光景を撮っていくと、こんなものがあったんだと写真を通して見えるものが変わっていきました。写真で撮ったものが自分にとっての絵という感覚でした。絵を描くことと写真がつながった気がしました。自分の好きな世界観がそのままカメラという機械で作れるんだという感じだったんです。
肖像画としてのポートレート撮影
大学を卒業後、博報堂プロダクツを経て、写真家の上田義彦さんのアシスタントに就きました。上田さんは自分の作家性がそのまま広告になっている感じがして、昔から好きでした。期間は短かったんですが、とても濃い時間でした。アシスタントを通して、写真家として生きるということを垣間見ることが出来た気がします。それで、自分も作家としてやりたいと。やはり自分の好きな世界を作るというのが一番だと感じたんです。
人を撮ることは、大学の頃から今も続けています。原宿には、色々な格好をしたおもしろい子達がいるんです。「ゴス」のスタイルの子達も、最初は何でこんな格好するのかなと思っていたんですが、声を掛けて撮らせてもらっているうちに、メイクで目の周りが真っ黒なんですが瞳だけはビー玉みたいできれいだなって思った。純粋なんだなって。彼女たちのポートレートは、自分の中ではモナリザの肖像画みたいなものなんです。レオナルド・ダ・ヴィンチが絵を通してリサ夫人と向き合い、それを表現したように、僕は写真でその複雑な表情や悩みを表現することができればと。僕は不器用なところがあってチャレンジした9割は失敗している。悩んだり傷ついてばかりいるけれど、1割は楽しいことがあったりもする。だから生きていけるというか。十代の子達も、しがらみや社会の中で戦っているんだということがわかったら、ただ通り過ぎるわけにはいかなかったんです。
「SISTER COMPLEX」から「KERBEROS」へ
『ひとつぼ展』には、ライブ感覚で妹を追いかけて撮った作品を出しました。独立して、やっていこうと思った時期で、作品の核となるものを探していました。その頃、4年ぶりに実家に帰ったんです。すると妹が変貌していた 。母親が早くに亡くなったので二人で力を合わせて育ったこともあって、妹は自分にとって、兄妹を超越した存在だったんです。それが急に距離を感じて、これは何なんだろうと。それで集中的に妹を撮りました。撮っているうちにずっと一緒にいた頃の感じに戻れた。とりあえずこれで区切りだと思えたので『ひとつぼ展』に応募したんです。
今回の個展では根本は変わっていないんですが、ライブドキュメントを超えて、じっくりと自分にとっての妹の存在を問おうと思っています。あやふやな、どこか薄れていく記憶の中に登場する妹という存在も表現しようと試みています。写真の中には色々な「しるし」みたいなものを散りばめて、これが僕にとっての妹ですということを伝えたい。例えば、妹が集めていたバラのドライフラワーとかも妹に重ね合わせて撮っています。バラは僕にとって美しいだけでなく、とげがある故に悩ましい印象を抱かせるものなんですが、それだけではなくドライフラワーになることで死をもイメージする。かけがえのないもの、キレイなものでも最後にはなくなってしまう儚さなんかも表現できればと考えています。展示を見た方にも、自分にとっての特別な存在、愛する存在とかを感じて頂けたらうれしいです。
奥出和典
東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。写真家上田義彦氏に師事後、独立。
受賞:
第30回写真『ひとつぼ展』グランプリ
個展:
「KERBEROS」
その他グループ展受賞歴多数