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nakaban展「this far land」 作家インタビュー

nakabanさんは多摩美術大学グラフィックデザイン科在学中にグラフィックアート『ひとつぼ展』(’96、’97年の第8〜10回)に入選しました。現在、雑誌や書籍の挿絵や絵本を数多く手掛ける他に、版画や立体作品、アニメーションなど幅広い作品を発表しています。インタビューでは、美術大学の学生だったころから絵を仕事にするまで、また描く上で大切にしていることなどをお話しいただきました。

子供時代
父親が高校の美術の先生をしていて、家でもよく絵を描いていました。東京美術学校(現東京芸術大学)図案科の出身で、家には画材もたくさんあったし、『アトリエ』のバックナンバーもあって、そういうのに触れたり見たりしてきたので、その影響もあったのかもしれません。父親はデッサン力がすごくある人で、子供ながらすごいと思っていました。絵のことでアドバイスをもらうこともあって、それが面白かった。例えば、目を細めて絵を見てみなさいとか・・・・・・。目を細めると絵がグレースケールで見えるので、描いた絵を客観的に見られるということだったと思います。あと絵を鏡に映してみるとか。今そんなことは僕はまったくやってないのですけど。

絵を描き始める
広島から上京して多摩美術大学グラフィックデザイン科に入りました。大学に入る前は受験戦争を勝ち抜くために絵を描いていただけで、好きで描くようになったのは入学してからです。いろんな絵を見るようになって、何か自分でもやりたいと自然と思うようになりました。
学生の頃は、自分の絵を世の中の人はどう思うだろうっていう不安が常にありました。『ひとつぼ展』に応募したのは、世の中に出るための入り口だと思ったからです。審査員の青葉益輝さんに、「きみの絵は傷やしみを画面のなかに計画して付けると絵がもっと生きてくる。そういうことを意図的にやりなさい」というようなことを言われました。当時の僕は、意図的ではなく偶然出来る傷やしみに期待して描いていたところがあったので、わざとなんてありえないと思っていました。
でも仕事をするようになってから、自分の絵の隅々まで責任を持ちたいなと思うようになって、青葉さんの言っていたことが分かるようになりました。思えば、だいぶ時間が経ってから、なるほど、と思える言葉を審査員の方々からたくさん頂きました。

就職を経て、絵の道へ
卒業後は、大阪にあるチルドレンズミュージアムに2年間勤めました。子供のワークショップを企画、運営する仕事で、ディレクターだったのでワークショップのスタッフ人事とか経理まで何でもやりました。この頃は、毎日始発から終電までの仕事だったにも関わらず、早起きして、少しの時間でも絵を描いていました。ぼろぼろに疲れていたから、描くことが自分へのセラピーになっていたかもしれないけど、絵っておもしろい、やる価値があるなって気づきました。それで会社を辞めて、アルバイトをしながら絵を描いていました。生活は大変でしたけど、とっても楽しかったです。
僕は編集者の人とかに直接会いに行って売り込むのが苦手だったので、アートブックをたくさん作りました。音楽家はCDを作れば送って聞いてもらうことができるし、世界中に売ることもできる。そのビジネスモデルが羨ましくて、CD を本に置きかえてみたんです。本は書店に置かれたら好きな時間に手に取って見てもらうことができるし、自分に向いている方法でした。まずは知人からでしたが、徐々に仕事もくるようになりました。一生懸命描いていると、絵を描くこと以外のことを考えるのが難しい。でもその人なりの売り込み方がきっとあると思います。

絵本
初めて手描けた絵本は『ないた赤おに』(2005 年)で、集英社の方からの依頼でした。ユトレヒトという本屋さんで展覧会をさせてもらったことがあって、それを編集者の方が見に来てくれたことがきっかけでした。丁度その頃絵本の仕事をやりたいと思っていたので、依頼があったときはすごくうれしかったです。見開きページいっぱいに絵が描けることが魅力でしたね。でも当時は人物が全く描けなかったので、苦労しました・・・・・・。たくさん研究して、人物を描くことへのアレルギーをなくそうと努力しました。
その後出会った絵本の編集者の方もいろんな方がいますけど、みんな気持ちが通じる人ばかりで、居心地がいいんです。でもそれに甘えることなく真剣勝負であることには変わりありません。それがいい。イラストの仕事をさせてもらっていておもしろいと思うのが、人との関わりが絵に表れることです。おもしろいくせのある編集者の方と仕事をするときは、自然と描き方が変わってしまったりとか、その人とのコラボレーションで絵が出来上がっていくみたいで、すごくおもしろいし、いろんな発見にも繋がります。

lanternamuzica(ランテルナムジカ)
lanternamuzica は音楽家トウヤマタケオさんとのライブ・プロジェクト。トウヤマさんがピアノを弾いて、僕が小さなライトボックスの上で即興で絵を描いて、壁やスクリーンに投影するパフォーマンスです。ライブは何が起こるかわからない。やっていて楽しいし、絵を描くことについて再確認できる時間でもあります。
絵を描く人は、ほっておくとアトリエにこもってしまう人種。でも音楽家はCD が出たらいろんなところに演奏旅行に行って、その土地の人たちと交流したり、美味しいお酒を飲んだり、活動の幅を広げている。こんな楽しいことは絵描きもやったほうがいいですね。

描き続ける
これから絵を描いていきたいと思っている人にいつも言いたいのは、続けたほうがいいということ。20代の頃の僕は、どうしたら自分の表現を見つけられるのかと悩みました。でも続けるうち、そういうことを問題にしていたらダメだなと気づくことになります。自分の表現は意識して作るものではなくにじみ出るもの。自分の世界なんて探さないで目の前のことに向き合って一生懸命になればそれでいいんです。
僕もこれからも絵を描いていくし、これしかできない。奇抜なものではなくて、静物とか木や海の風景とか建物とか、そういう普段見慣れている「ふつう」を描いていきたい。ただ籠にリンゴが入っているだけの絵とか、そういうものでも描き続けていけばおもしろいものになると信じて描いています。
自分の憧れるミュージシャンや画家とか、この人がいてよかったと思うときがありますよね。そういう風になりたいですね、やっぱり。まあ、いないよりはいてもいいか、という絵描きさんでありたい。

nakaban

1974年生まれ。画家。絵画を中心に絵本、アニメーションなど多方面で活動中。最近の代表作は映像作品の『Der Meteor』(noble)、絵本の『ころころオレンジのおさんぽ』(イーストプレス)『つきのなみだ』(青柳拓次作)、CDジャケットのアートワーク、Esquire誌挿画等。

filmography:2009年Der Meteor(MIDI Creative / noble)、2008年光を奏でる(宇都宮美術館)、2007年三つの箱-poca luce,poco lontano-(MIDI Creative / noble)

bibliography:2011年drawing block(きりん果)、2009年力いっぱいきりぎりす (著:村井康司/絵:nakaban、岩崎書店)、つきのなみだ(著:青柳拓次/絵:nakaban、mille books)、ころころオレンジのおさんぽ(イーストプレス)、2008年うふふ詩集(著:まどみちお/絵:nakaban、理論社)、landscape(chigo/kazam)、チョロコロトロ りんごのくにへ(学研)、2007年ネズネズのおえかき(学研)、2006年リスボアの小さなスケッチ帖(トムズボックス)、2005年MY SONG(言水編集室 switch point)、ないた赤おに(著:浜田廣介/絵:nakaban、集英社)、habitat(きりん果)、御茶ノ水界隈(トムズボックス)、2004年64(きりん果)、2003年彫刻家チョプラーン(トムズボックス)、2001年field work(トムズボックス)

other アンソロジー参加:2008年ちいさな魔女からの手紙(著:角野栄子)(ポプラ社)