1. TOP
  2. 展覧会・イベント
  3. 共感を求めて「愛とバカ」をとことん表現し続ける

共感を求めて「愛とバカ」をとことん表現し続ける

『ひとつぼ展』をリニューアルした「1_WALL」のグラフィック部門で、自身のおじいさんをモデルにしたパワーあふれる作品が評価されて第3回グランプリを獲得した榊原美土里さん。「1_WALL」展では動く立体作品に果敢に挑戦するも「ダメダメの展示」と審査員に評される結果となってしまいましたが、「稀に見る色彩感覚に脱帽。見た人を元気にしてしまう強烈なエネルギーと、我が道を行く異端児的なところが魅力」と審査員の注目を集め、今後のポテンシャルが高く評価されての受賞でした。一貫して「滑稽でバカバカしいかもしれないけれど、自分にとっては愛おしいもの」を独特の手法で表現し続ける榊原さんに、今回の「愛とバカ」という初個展のテーマについての思いや、作品制作の原点、今のスタイルに至るまでを伺いました。

 

「愛とバカ」を展覧会のテーマにした理由
私は第3回のグランプリを取りましたが、「1_WALL」展の展示については、審査員の方々から「展示がダメダメ」「展示は見なかったことにして…」など、けちょんけちょんな言われよう(私が悪いのですが)の中、グランプリを取ったという…私にとってかなりの事件でした。でも、この状況をフルに活用して好きなことを楽しくやらせていただくことにしようと決めて、好きなように「愛とバカ」を表現しました。「愛とバカ」という言葉は「愛と平和」以上に愛と平和を表現している言葉だと思います。みんなが愛とバカの気持ちを持っていれば、世界はもっと平和で愛に満ちた世界になると思っています。

北海道での幼少期から美大入学まで
出身は北海道の十勝です。小さい頃から絵を描くのは好きでしたね。まわりがぜんぶ牧場なので、年齢が近い遊び相手がそばにいなくて。遊びに行くにも車を使わないといけないので、兄妹で遊ぶか、ひとり遊びでした。裸足で走りまわるのを卒業した小学校くらいからはゲームばっかりで、自然とは戯れないインドア派。中学時代からはファッション誌を読んで東京に憧れて。高校時代は兄や親戚も通っていた新潟の学校での寮生活。その後、進学は専門学校とも迷いましたが、かっこいいポスターが作れる人になれたらいいなって、最終的には2浪して多摩美術大学に入学しました。

美大時代に「ジジイ」を描き始めたきっかけ
もともとグラフィックデザインに憧れがあって、多摩美術大学に入りました。グラフィックの授業ではポスターを作る課題が多くて。でもずっとスランプでした。「日本/JAPAN」について表現するポスターの課題が出た時は、じっくり考えて作っても一切評価されない。いよいよ単位も危ないと切羽詰まって、そのもやもやを晴らすために汗をかこうと行っていたジムでお風呂に浸かっていたら、突然アイデアが降ってきて。「お風呂でじゃっぱーん(ジャパーン=JAPAN)!!!」でいっかな、って(笑)。で、日本のお風呂にはおじいちゃんの組み合わせだなと。結局、ほんの数分で仕上げた作品を提出したらすごく褒められて、かえって拍子抜け。でもこれが「ジジイ」を描くきっかけになりました。卒業制作におじいちゃんを描いた際には、巣鴨までおじいちゃんを観察しに出かけたりもしました。
きっと、日本の美しさや礼儀正しさみたいなことばっかり考えてしまっていたから、のびのびとしたアイデアが出なくなっていたんだと思います。でもこの「ジジイ」で自分らしさを見つけて、突き抜けることができました。実は、授業中に描いていたイタズラがきが今の作風に近いんです。ポスターに使えるようなものではないから、それはただのお遊びでしかないって思っていたんです。でも実はお遊びの絵が一番好きだし、それが一番よかった。

美大卒業から崖っぷちの「1_WALL」応募まで
憧れのデザイナーは特にいなくて、みうらじゅんさんの絵とかタナカカツキさんの漫画などから刺激をもらってました。本気でこんな面白いことができるんだ!こんな仕事もあるんだ!って。でも卒業が迫っても進路は決まらないし、親に言われて就職活動をしても落ちてばかり。絵を見せると褒めてはもらえるけれど、それをどう仕事として生かしていけばいいのかわからなくて。何になればいいのか、すごく追い詰められてかなり悩みました。
「1_WALL」に応募したのは、そんな時でした。自分がこれで本当にいけるのかどうか試してみたかったんです。何かしないと次に進めない危機感はあったけど、どう売り込みに行ったらいいのかもわからなかったし。とりあえずぎりぎりで応募用のファイルを作って、折りたたんだ「ヨガジジイ」の実物をファイルにえいっ!と差し込んで、分厚いファイルになりました。

制作の原点はギャップのある発想
「メンコ」は、厚紙の両面に色紙をスプレーのりで貼ったオリジナルの台紙に油性ペンで絵を描いて、カッターで切り抜いて仕上げています。もともと名刺として作ったのが始まりなんです。売り込みに行くには名刺が必要だったけど、普通の名刺がどうも気に入らなくて。厚紙でサイズも大きく作ってみたら、その存在感が気に入って、おもしろいと言ってもらえるし、とにかく楽しいものを作ろうと、納豆パック、バナナ、おでんの大根、くまちゃんなど、あまり深く考えずに好きなものを描いて配っていました。
顔や手足のパーツをハトメでつなげた可動式の「ヨガジジイ」は、卒業制作を作った時からずっと作っています。バナナや薔薇のメンコを見ながら、これを顔にしてハトメで筋肉質のレスラーの体をくっつけたら面白いなーと。そんなノリで「マッスルバナナ」や「薔薇人間」が誕生しました。「ヨガジジイ」の顔にドラゴンの体を連結させた「ドラゴンジジイ」のアイデアが楽しくて、ドラゴンと大好物を組み合わせる「おでんドラゴン」や「のりまきドラゴン」が生まれました。絵が折りたためたり、動かせたり、絵の組み合わせが面白かったり。面白いギャップがあれば楽しくなるんだと気づいたら、制作にあまり悩まなくなって、楽になりました。思うままに描き続けたら、どんどん作品が増えていくんです。

制作のこだわり
岡本太郎の本に「”自由”に描くということはすごく難しい」「これまでの生きざまや価値観がそのまま絵には出てしまう」といったことが書いてあって。すごく納得したんです。何気なく自由にのびのび描いたつもりでも、実は絶対に描きたいものがあるはずなんだと。私の場合は、ただの100円玉とか草とか「絵にならないようなもの」を描いていきたいと思っています。きれいな花とかは描かない。そこはすごく意識しています。
色合いが特徴的だと言われるんですが、もともと派手な色や蛍光が好きです。テレビアニメの『ザ・シンプソンズ』が好きだったので、その影響はあるかもしれません。色は普通っぽくならないように意識していて、淡い色でもちょっと気持ち悪く見えるくらいが狙い。自分の使いたい色と使いたくない色ははっきりあります。
これから
今は、自分がいいなと思ったものを、見てくれる人と共感できたときが一番うれしい。自分で作るだけではなくて、やっぱりそれを見てくれる人がいて欲しい。作り手の自分の感覚を分かってほしいし、面白いと思ってもらいたい。そして、自分の好きなことをやったほうが、まわりも喜んでくれるんだと思っています。
今後は、デザイナーとかイラストレーターとかではなく、肩書きはまだよくわからないけれど、ものを作ったり売ったりし続けていきたい。自分の価値を確立させていきたいです。
以前の「メンコ」を見ると、模様にこだわっていたり、意味にこだわっていたり、雑念があってダサい。もっと力強くてシンプルなものを、自分の感覚をもっと研ぎ澄まして作っていきたい。描くモチーフを選ぶ理由は自分の感覚がすべてなのですが、その勘のようなものを磨いていきたいですね。そしてなんといっても、ラブアンドバカフォーエバーです!

榊原美土里

1985年北海道十勝生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。
東京都在住。
受賞:
2010年 第3回グラフィック「1_WALL」グランプリ

グループ展・企画展:
2010年 第3回グラフィック「1_WALL」展/「あれから20年、これから20年」展 ガーディアン・ガーデン(東京)