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写真と言葉を組み合わせた独自の表現を目指して

一見何を見ているのかわかりにくい、構図もピントも不安定な写真に詩のような言葉を添え、独特の世界観を紡ぎだした作品「tky⇔almgrd」で第5回写真「1_WALL」グランプリを受賞した清水裕貴さん。写真と言葉を一緒に展示した意欲作は、審査員には「何気ない写真なのにサブリミナルに浸透してくるような不思議な力を感じる」「写真を見て、こんなにイメージの力に連れ去られることはそうそうない。言葉も魅力的だが、言葉がなくても成立していると思う」と評されました。
今回のインタビューでは、写真を始めたきっかけから現在の作品スタイルに至るまでと、ガーディアン・ガーデンで開催した個展「ホワイトサンズ」や今後のことなどについて、お話しいただきました。

写真を撮り始めた高校時代
写真を始めたのは高校生の時です。それまでは絵を描いていたのですが、特別なきっかけがあったわけではなく、突然撮ろうと思い立ちました。写真は自分ひとりでも撮れるけれど、暗室が使いたくて写真部に入りました。友達と写真の現像方法や引き伸ばし機の使い方をネットで調べて。すべて独学でした。印画紙上の合成が好きだったので、フィルム二度焼きはよくやっていました。父親の一眼レフを借りて、畑や近所をよく撮っていました。地元は千葉のベッドタウンで、梨畑と雑木林と、畑をつぶして家を建てる為の空き地が平べったく続いていて。空が広くて、鉄塔がよく目につきました。あまり高い建物がなかったので、朝と夕暮れはとても眩しく、明け方にはよく霧が出て、光の変化が劇的でした。
生物室の試験管に入った植物も撮っていました。それも光がきれいだったので。
高校時代は、映像作品がとても気になっていたので、ICC(NTTインターコミュニケーション・センター)に行ったり、イメージフォーラムやアップリンクで映像をよく見ていました。印象に残っているのはフランス映画の「ラ・ジュテ」。モノクロの静止画で構成された短編映画で、SFみたいな不思議なものでした。

美大の映像学科へ進学して
映画に関われたらいいなという気持ちで、武蔵美の映像学科に進学しました。でも大学1、2年の時の映像制作の授業で、集団で映画をつくるのがあまり合わないことを実感して、映画はやめました。ひとりでじっくり作る方が性に合っていたので、アトリエの大きな暗室にずっとこもっているのが好きでした。
大学時代は、フィルムや写真を破いたものを再撮したり、いろんな作品を撮っていました。植物園の空間や枯れ落ちた植物を35ミリや6×7のモノクロやカラーで撮影していた時は、井の頭公園にあった古い洋館のような温室が特にお気に入りでした。友達の女の子を教室や階段に立たせた6×7のモノクロ作品では、ポートレートではなく人体のかたちそのものを撮りたくて、首から下だけを撮っていました。
大学卒業後も、写真を撮ることは当たり前でしたが、それは仕事ではありませんでした。スタジオに就職しようかとも思ったけれど、向いてなかったので、何となく流れ着いたデザインの仕事をしています。
卒業後1年くらいは、海を撮ってそれをモニターに映して、それをまた写真に撮る6×7のカラー作品を作っていましたが、自分で見飽きてしまったのでやめました。毎日持ち歩けるようにデジタル一眼レフに変えて、スナップを撮り始めました。

写真と言葉を組み合わせる作品づくりのきっかけ
小説、生物学、心理学など、本はもともと大好きでした。大学のフランス文学史の授業でアルチュール・ランボーを好きになってからは、ボードレール、リルケ、ベルトラン……と、ヨーロッパの詩を読みました。映像が浮かんでくるところが好きなんです。
そこで出会ったベルトランの詩は、冒頭に小説や詩の一節、ベルトランの創作と思われる実在しない本の内容や古い歌などが添えられていて、それがとても写真的だと思いました。それから、写真と詩の引用をセットで見せることをし始めました。生物学の文章や詩の断片、意味のない一文を写真と一緒に見せて、関係があるように見せたり。日常の中の何気なくてどうでもいい会話や文章を集めることもずっと続けています。たとえば、「(写真の)この女の子の縁」と書くべきところを、打ち間違って「この女の子の淵」となったのを見て、どうでもいいけどこれっていいなと思ったり。

作品にするために旅をする
「1_WALL」でグランプリを受賞した作品「tky⇔almgrd」で、初めて物語を創作しました。その少し前から写真に引用文をくっつけてはいましたが、作品としてまとめるには、もう少し「結末」への推進力が欲しくて。どこか目的地に行く「旅」という行為が、作品をまとめる上での大きなキーになるはずだと考えて、作品のために意識的に旅に出かけました。
2011年2月にアメリカのニューメキシコ州にあるアラモゴードに旅をしました。いつも撮影していた千葉や幕張の埋立地は乾いた砂地やコンクリートの印象があって、空っぽな感じがする場所なのですが、アラモゴードは埋立地の雰囲気を想像させる白昼夢みたいな町で好きでした。ホワイトサンズはアラモゴードの近くにある白い大砂丘です。とてもきれいなのに誰も住み着いていなくて、広い砂漠、特に真っ白なところが、物語の結末にふさわしいと思ったので、直感的にそこを行き先に決めました。行き先を決めた時点では物語は少しも作っていなかったのですが。個展「ホワイトサンズ」の出品作の2/3はその旅で撮影したもので、そこに過去2年くらいの間に撮影したスナップを混ぜています。

写真と文章の関係性
「写真」はそれ自体が独自の記憶を持っている、と考えています。それは撮った時の状況や自分の思いのことではなくて、むしろ写真を撮っている自分にはあまり意味がない。写真に写された風景という、本当は誰も見ていない(人の目はカメラのようには見えないから)、どこにもない不思議な場所には、撮影者や鑑賞者が生身では触れる事の出来ない独自の世界があるように思います。自分は写真を撮らされているだけだという感覚があります。写真にお伺いを立てて文章が出てくる感じなので、あくまでも写真が先にあります。
写真を並べながら文章をまとめていくやり方で作品制作をしていますが、この写真には必ずこの文章でないといけない、というのがあります。出てきた単語が次の文章のインスピレーションの源になったり、次の写真セレクトにつながっていったりもします。展覧会向けとパンフレット向けでは、見せる写真の点数も異なるので全体構成を変えていますが、構成を変えると物語の内容もそれにあわせて変化していきます。明確な全体構成はないけれど、変わらないテーマが根底にはあります。

大切なのは物語
物語という存在が重要です。物語という言葉は本来、(誰かが、何かについて)語ること、という意味です。誰かの主観の(語られた)出来事なのです。しかし「物」という言葉には、具体的な物体や出来事のことだけでなく、霊やあやかしという意味合いもあって、それが個人的な出来事だったはずの「物語」に不思議な階層を生みます。他愛のない日常が神話につながる感覚です。とても越境的な性格をもっている言葉だと思います。
簡単に境界線を越えられるものにいつも興味があります。今いる世界ではない世界がずっと傍らにある感じとでもいうのか、写真にも越境的な性格がありますよね。印画紙に写っているものには、呪術的な存在感もあって、そこに面白さを感じています。

今後に向けて
雨乞いに関する物語を作ろうと思って、イスラエルに行ってきました。「ホワイトサンズ」でも気象が深く関わっているのですが、そこをさらに掘り下げようと思って、ガーディアン・ガーデンでの個展が終わった次の月の夏休みに行きました。「マイムマイム」がムスリムの雨乞いの踊りだとどこかで聞いて、中近東にしようと思って、何となく行きやすそうなイスラエルにしました。旧約聖書も好きだったし。旅に出る時は大抵深く考えてないです。しかしよく調べたら「マイムマイム」は、イスラエルに集まったユダヤ人達が、不毛の土地に水を引いて開拓する時の歌なんだそうです。マイムとはヘブライ語で水です。エルサレムに行ったのですが、油断しているとすぐに地下の遺跡に潜ってしまって、数百年、数千年の湿った水路を歩いてしまいます。あそこの水は降ってくる雨ではなくて地下からしみ出る暗い静かな水でした。歩いていると、とにかく地面の下から強く引っぱられるような感じのする場所で、強く踏みしめなければ歩けない。地上は乾燥して陽射しが強く、死海に行くと暑さに沈み込むようでした。次の物語は、気象をキーとして、落ちていく力と上っていく力を描くと思います。

※今後に向けての部分のみ、個展終了後に追加インタビュー。

清水裕貴

1984年千葉生まれ。2007年武蔵野美術大学映像学科卒業。

受賞:2011年第5回写真「1_WALL」グランプリ

展示:2011年 第5回写真「1_WALL」展/ガーディアン・ガーデン(東京)、2011年わららか和紙展/小津和紙店(東京)、2009年この街は日曜の昼に沈んだのだ/新宿眼科画廊(東京)、2007年Rlah 2/Bank Art NYK Gallery(横浜)