美術評論家の光田由里さんをゲストに迎え、トークイベント「写真を通した3人の距離感」を開催しました。
光田由里(美術評論家)
戦後美術史/写真史研究。京都大学文学部卒業。多摩美術大学教授。著書に『高松次郎 言葉ともの』(2011年/水声社)、『野島康三写真集』(2009年/赤々舎)、『「美術批評」誌とその時代―』(2006年/Fuji Xerox Art Bulletin)、『写真、芸術との界面に』(2006年/青弓社、日本写真協会学芸賞)など。企画展覧会に「美術は語られる 中原佑介の眼」(2016年)、「The New World to Come Experiments in Japanese Art and Photography,1968-1979」(2015年)、「ハイレッド・センター 直接行動の軌跡」展(2013-4年)ほか多数。
池崎一世
女子美術大学絵画科洋画専攻卒業。
NY市立大学ラガーディアコミュニティーカレッジ メンタルヘルス科卒業。
第5回写真「1_WALL」ファイナリスト、Culture Centre参加。
佐藤麻優子
専門学校桑沢デザイン研究所中退。第14回写真「1_WALL」グランプリ。
個展「ようかいよくまみれ」ガーディアン・ガーデン/東京、個展「ようかいよくまみれ」excube/大阪、「代官山フォトフェア2017」代官山ヒルサイドテラス/東京、個展「生きる女」VACANT/東京、グループ展「dix vol.3」QUIET NOISE arts and break/東京、個展「繋がってください」KKAG gallery/東京、グループ展「Culture Centre in flotsam books」flotsambooks/東京。
染井冴香
武蔵野美術大学映像学科メディアアート専攻卒業。第13回写真「1_WALL」ファイナリスト。「TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD 2016」光田由里賞、「TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD 2017」準グランプリ。POST/PHOTOGRAPHY 2020(アートビートパブリッシャーズ)掲載。
トークイベント ログ
光田:聞き役の光田と申します。今日はがんがんお話しお願いしますね。最初にこの3人展を今日拝見して、会場に入って言いたいことがこんなに沢山ある会場ということに、まず圧倒されました。見ていたら本当に面白くて、これは皆さま絶対に見逃さないでください。この展覧会を見る人の中にも言いたいことがいっぱい生まれてくるような、そんな展覧会だなという第一感です。感想は追い追い申し上げるとして、まずこの3人は元々のお友達でもパッと見なさそうだし、どんな感じで始まったんですか?
佐藤:一番最初の出会いは、自分の「1_WALL」のグランプリ個展の会場でした。私は「1_WALL」に応募する際に過去の審査会レポート*を読んだことで2人のことを知り、当時は特に池崎さんの写真に共感して、個展の際にトークをお願いしたのですが、それを染井さんが聴きに来てくださっていて。その際に染井さんが作品集を持って来ていて、みんなで写真観ながら話しました。トークイベントのあとガーディアンの方がみんなで食事に連れていってくださって。それが一番最初の出会いです。
*池崎一世/第5回写真「1_WALL」審査会レポート
*佐藤麻優子/第14回写真「1_WALL」審査会レポート
*染井冴香/第13回写真「1_WALL」審査会レポート
光田:そうやってガーディアン・ガーデンを通して3人が知り合ったということなんですけども、知り合ったことと一緒に作品を作ることには、ちょっと段階がありませんか?
染井:そうですね。最初に3人で会った時に、「なんだろう、いいな」って思ったのと、それ以上に「このあと何かあるな」という気持ちが自分の中であって。いいって思う写真があると思うんですけど、それ以上に繋がってるみたいな。多分頭のどこかの感覚が一緒なんだなという気持ちがあって。その後、池崎さんからお誘いいただいて2人でご飯食べている時に「一緒にできたらいいね」って話していて。
光田:それで、じゃあなんかやろうとなったわけですね。
池崎:はい、そうです。
光田:自分の作品と、今回の作品は違いますよね?今まで撮影した作品と繋がっているけれども、途中でジャンプもきっといっぱいあったと思うんですが。
佐藤:そうですね。多分最初一番戸惑いがあったのは自分かも。個々で成果物を出すグループ展は経験ありましたが、コレクティブという形は初めてでしたし、あまり人と何かをすることが得意じゃなかったので。制作の仕方も池崎さんと染井さんの方が似ているかも。
自分はどちらかというと撮影前に考えを言葉を少しまとめてから撮影する形が多いのですが、二人はそうじゃなくて、より抽象的にイメージを写真にしていくことからスタートして進めていく感じだったので、今回はそのやり方に乗せてもらった感じです。
光田:今までとは違う、まずパフォーマティブに始めるみたいな感じですかね。
池崎:佐藤さんとのトークの後の食事がすごい雰囲気が良くって、なんとなくエネルギーみたいなのがそこにあったんですけど。私と佐藤さんの一番最初のつながりも、全然人を知らないところでとくに説明っぽい内容でもない写真だけ見てなにかしらの共感がありました。
個人的に気になる写真って皆さんそれぞれあると思うんですけど、写真のイメージを通して繋がったっていうのが特徴的かなって思っていて。実際知り合って会話をしてみたら、結構共感する生い立ちだったり、家族のテーマの会話もすごい共感することが多かったんですけど。
そこで、あぁこんなに経験のことで、(佐藤さんと染井さんは歳は近いけど私は結構離れてる中で)、写真を通して知り合って、現実の出来事で共感することがいっぱいあるんだってことにすごく驚きました。で、そこから自然に制作に結びついてきました。
光田:共感する写真のイメージだけではなく、体験とか自分達の問題とかがスムーズに入ってきたんですか?
佐藤:ガーディアン・ガーデンの方に関わっていただく以前から制作していて、その時は割とこう、言い争いまではいかないんですけど、ぶつかることもありました。自分が人間として足りない部分で迷惑かけたりしたこともあったし、友達という関係性でもなければそれぞれ生活環境も違うので、会話のリズム感や言葉の使い方も違ったりして、最初は(やりとりも制作も)ちょっとぎこちない感じがあったかな。
池崎:一番最初に写真を撮ろうとなった時はやはりかなり手探りでどうやって制作していく?みたいな戸惑いはありました。
私はとりあえずのテーマやイメージみたいのからセットアップを作って、写真が出来上がってみたら、ちょっと自分の無意識な部分も見えるみたいなプロセスだったり、一方佐藤さんはさっき言ってたみたいにきっちりシチュエーションだったりを言語化してからこういうものをしっかり撮りたい、私よりももっとしっかりしたプランっていうかコンセプト組んでて、でもその辺を上手く折衷して。とりあえず撮ろうっていう場所決めから始めますね。ロケーションから。
光田:染井さんは、どうですか。
染井:3人で撮影する時は、全然違うところに住んでるから大変というのもあるけど、撮影自体始まってからは、初めて会ってからは3回目とか2回目とかだったんで、どういうふうに話を進めるのかなとか思ってたけど。撮影ってやっぱ、異世界っていうか、現実じゃないから、自由っていうか、各々撮ってる感じであまり違和感なかったです。
光田:それで3人の制作が進むにつれて、ガーディアン・ガーデンで展覧会をやる話も出て、どんどんスピードアップしていったイメージでいいですかね。全体でどのくらいの期間ですか、この制作期間は。
染井:2年か、3年くらいかな。
光田:(展示している作品を見ながら)これは時系列で並んでいるのではないですよね。入ってすぐこちらの壁(入口左側の壁)からぐるりと展開して最後の写真で終わるって感じなんですけど、最初に作った写真ってどれですかね?
佐藤:一番最初は2人が撮った写真で、染井さんが悪魔の羽をつけてる3つ窓があるマットの写真(No.29)なんですけど、その時私が参加できてなかった撮影が一番最初の写真かな。
池崎:この作品(No.10)も同じ時に撮りました。
(左から)
No.20「not belladonna」2021、佐藤麻優子
No.21&22「my puppy」2021、佐藤麻優子
池崎:私もそうですね。私は結構子どもを持って親になってから、そこを区切りにして、皆さんそう感じる方もおられるかなと思うんですけど、区切りがついてものすごく変わっちゃったような気がしてたんで。昔の自分、例えば佐藤さんや染井さんの年齢の頃の自分っていうのはすごい距離を感じていて。
でも今回の制作を通してその頃の自分との同一性みたいのを取り戻させてもらえてる気持ちがしました。あと私はひとり親でこども育ててるので、責任っていうか辛い時もあって。今回一人じゃなくて複数人で制作することを通して、その……混ざるって言い方も変ですけど、なんていうか、一人である苦しみ?みたいのは別に頭の中の幻想でもあって、複数人の、場所やものなども含めて、アイデンティティの拡張みたいな、そういう可能性というかそれが実は事実でもあるみたいな、そういうことを感じられたのが私は個人的にとても嬉しかったです。
光田:その嬉しさは見る方にも割と伝わってくるっていうか、何か楽しそうっていうのがまずあって、扱ってる問題は多分心理的なすごくリアルな問題なんだけれども、3人でやることによってファンタジーの部分が大きくなっていて。そこが楽しそうという感じに思ってたんですけど、今お話聞いてリアルさから生まれてくるファンタジーみたいなものにカタルシス効果があるのかなっていうのを見てるほうにも感じるのでね。
だから写真って本当に色んな使い方ができるわけですけれども、私の言い方がちょっとざっくりし過ぎてますけれど、女性のライフステージのようなことを、ちょっと遊びも入れて、そしてストラッグルっていうのかな。これはこうですっていう答えは別に求められてない。そうじゃなくて、問題とストラッグルしてる様子がファンタジーとして生まれ変わってるって言うか。そこに見る人はどんどんこう入って行って共有できるっていうかな。そういうような幅を感じたんですけどね。ファンタジーっていう言い方はどうですかね、あまりピンとこないですかね?
池崎:ファンタジー……、そうですね。私、今光田さんのお言葉を伺って浮かんだのは、ファンタジーと言うかイメージ世界っていうか、やっぱり写真撮る時って写真撮影に向かう時とかもちょっと現実とは違う、そういうファンタジーと言える中では自分と他人の境界と言うか、位置関係みたいのがすごくフラットになると言うか。そういう意味ですごくいいなっていうか、そういうとこなんですかね……ちょっとうまく言えてないかもしれません。
佐藤:位置関係っていうのは、役割みたいな事ですか?
池崎:役割もあるけど、何だろう。普段生活する中での、社会的な役割ですかね。無意識のレベルでの日本の社会の中で内面化された儀礼的なものだったり、個人同士の距離感?とかですかね、そういうとこなのかな。
光田:さてさて、ではちょっと具体的な作品について聞いてみていいですか?この最初の壁、この1つの壁のまとまりみたいな感じでいいですかね。
その中で私はこの作品が特に気になってるとか、ちょっと話してみたいっていうのがあったら言ってみていただくっていうのはどうですか?染井さんから。
染井:そうですね、私は、母親が亡くなってから、池崎さんから展示のお誘いいただいて。(写っているのは)母を看取った家で、15年ぐらい過ごした実家も、国の政策で公園をつくるためになくなることになって。引っ越してる時に捨てなきゃいけないようなものをどうしよう……と思っていたときに撮影した写真とか、その小っちゃい作品(No.3)は引っ越しして家族で車で移動する時に撮った写真とか色々混ざってたりします。家を失うっていう経験が2回目で、小学生の時も4年生くらいまで過ごした家が目の前で工事で潰されてるところを見て。
その時その家自体に全然思い入れなかったっていうか、家がなくなるって事自体が全然分かってなかったから、目の前でなくなった時にすごい……なんだろう……イメージとして焼きつくものが結構あって。もうあんまりこういう経験したくないなって思ったんですけど、もう一回見るのは無理だなと思いながら引越し作業とかしてて……すいません、なに話そうとしてたか忘れちゃった。
No.3「the house」2020、染井冴香
No.6「one of the dead」2021、染井冴香
光田:染井さんはこの作品に関してはハンドアウトでもコメント結構長めに出してますよね。
染井:この作品にしようって決断したのが、映画『ヘレディタリー/継承』を見ていて、その中でジオラマ作家のお母さんがトラウマをジオラマで再現することを作品でやってたんですけど、結構グロテスクな作品でホラーの作品なんですけど。
その娘さんが亡くなってしまって、その時の光景をジオラマで再現しようとして、旦那さんにはそんなのやめろって言われたりしていて。でもその人は作品に落とし込む事によってスッキリしていて、全然ジオラマとはまた別なんですけど……。
光田:作品を見る人として、ただならぬ雰囲気とどことなくユーモアがあって、なんか面白いの。最初にも言ったんですけれども、すごくリアリティのある問題と、それに加わった別の要素っていうのが両方あることによって、見る人もその中にすぐ入っていけるっていうか、なんかこう余裕ってゆうか、生まれてる感じは感じました。
染井:確かにそうですね。“悲しい”を悲しいで変換するよりも、絵としてイメージとして落とし込みたい、見た人に完全に伝えたい気持ちがあんまりないと言うか。その人の頭の中であるようなことを描きたい気持ちがあって、みんなが分かる形にしたいっていう気持ちもちょっとあるかもしれないです。
光田:池崎さんはこの最初の辺のパート、またもっと拡張してもいいんですけど、この作品について語りたいというのはありますか?
池崎:今、染井さんからお話を色々聞いて、3人の会話の中で聞いてなかった深さの話を聞けたなと思ったんですね。言えることと言えないことっていっぱいあるんですけど。こっちの赤白帽子は小学校で撮った写真で、数年前に自分が小学校の校門の前を通った時に、ちょうどこんな感じで小学生の男の子が赤白帽子と体操服で裸足で学校の校門からふらふら出てきた子がいて。ちょっとびっくりして「どうしたの」って聞いたら、何も喋らなくて「でもほら危ないから学校に戻ろう」みたいな感じで言って腕を掴んだら、すごく本当に戻りたくないみたいな。いやだって言われて、学校いやなんだなって強く伝わってくる体験があって。
その頃個人的にも親として学校って難しいよねって思う出来事がちょっとあったんで、そのことがすごい心に残ってて。印象的な出来事だったんですけど、それを今回学校で撮影できるってことになって、再現してみようかなって思って撮った写真です。
光田:再現すると感じるところありますか?
池崎:ありました。私が実際体験した時は門の外から見ていて、なんで心に残ったのかなっていうと、それは子どもにとって現実の世界って学校と家がベーシックだと思うんですけど、学校にいるのが嫌ってなると、行き場がない、心休まる場所は家しかないだろうし、でも多分家庭でも学校に行けないってことでみんな悩むだろうし、小さい社会の中で生きてる子どもって状況に対して、やるせないみたいに思ったんですね、現実の中に行き場がない感じに。
でも今回これを作品化するにあたって色々考えて、今回は無意識的に門の内側から撮ったんですけど、そう見るとこの門のところで、その子にとっての現実と、そうじゃない別の現実の可能性っていうか、場所の境界線みたいになってんのかなと思って。外から大人の目線で見たら行き場がないと思ったけれど、中から見たらいや実はそうじゃなかったのかも、っていう希望みたいな風に解釈できたらなって思いました。
光田:なんかね、緑が全体にあって、その写真の真ん中に赤い帽子があるってすごい印象的な……これはどういうイメージなのかっていうのはうまく言葉で説明できないですけど、その扉の間に挟まっている、行くか戻るかみたいなその緊張感と、この色彩の綺麗さがね、すごく不思議な効果を出してるなと思いました。
池崎:ありがとうございます。
光田:全体的にそうなんですけど、その……攻めてる感じがね、ありましたね。攻めてる感については後でまた言いたいと思いますけど。佐藤さんはどうですか?
佐藤:この壁で言うと、展示の一番最初にある写真(No.1)が私にとってはこの3人の制作で初めに撮った写真で。なぜ人に見せようという写真は言葉をある程度まとめてから撮ろうとするかと言うと、撮る自信がないからで、考えないで行って撮れるのかなっていう不安があったからなんですけど。
今回ほぼ考えないで撮るということをやってみて、撮影の時点では分かっていなかったことが、後々こう自分の中の……なんだろう……生い立ちからくる考え方とかに繋がるところがあるなって気づいたのが1枚目の写真です。あの写真はニュータウンで、同じデザインの家が並んでるような綺麗な街、意図的に作られた完璧な街という所で撮りたいな〜となんとなく思って撮影した写真で、それが自分の生い立ちの生活空間とか、家庭環境とか、私も母子家庭で育ったので、そこにすごい乖離と憧れがあって。あとそういった場所に嫌悪感というか気持ち悪さというか、これは妬みが入ってると思うんですけど、そういう違和感みたいなの、ちょっと未だに言葉としてまとまっていないですけど、この写真に関してはそんな感じがあります。
No.1「my family_1」2020、佐藤麻優子
No.5「by the side」2020、染井冴香
No.18「family」2021、染井冴香
No.19「The fake」2021、染井冴香
染井:これ佐藤さんの実家の跡地で撮るってなった時に、佐藤さんがさっきおっしゃってたと思うんですけど、親は親って見てる時期と、その親が「あ、この人って一人の人だったんだ」というか、女性だったんだとか男性だったんだって思えるのが佐藤さんよりは全然遅かったと思うんですけど。
家族を一人一人の人間って見てて、今も全然そういう風に関わってるんですけど、本当に血つながってるんだけどすごいバラバラっていうか、家族も一人一人だなぁ、人間だなぁって思ったり、同じ種族と思えなかったりする時があって。それって別におかしいことじゃないし、家に過ごしてる時間って意外とそんなにないし、お母さんがパートで働いてたら8時間はいないわけだし、そういうことの変さ見たいのが結構面白いなと思って、それを落とし込みたいなって思って。
光田:そうなんだ。……そうなのか。
染井:役割みたいな、一人一人の役割じゃないけど、そういうのがあるなと思って作ったやつです。
池崎:前会話している時に、さりげなく染井さんが父親ってキャラクターだからという一言を言ってて、その時はわからなかったんですけど、でも何回も後から読み返したら、「あ、そういうことか」ってなんかすごいハッとしました。
光田:この辺りから私はより攻めた感じがしてまして、その攻めたっていう言い方はあまり綺麗な言葉じゃないかもしれないんだけれど、ストラッグルっていうのかな、何かのイメージを表すというよりも、イメージを獲得する方に向かって体を動かすみたいな、そういうことが自分には感じられてます。これが何をしているのかとかはパッと見たぐらいじゃわからないんですけども、例えばこのベッドサイドで3人が色々なことをしているその前後の写真(No.21)、花の写真(No.20)と花を持った佐藤さんの写真(No.22)とか、この辺りも何かのイメージを演じるとかではなくて、イメージを捕まえに体を張るみたいな、どうですか?
佐藤:今光田さんが言ってくれて、自覚的ではなかったんですけど、すごいそうだなって思って。この3点の写真は、割と無理して撮った写真です。染井さんがトラウマについて撮ってみようと思ってるって話になって、それまでも家族について撮ってみようとか、誰かから提案まではいかないけど提示があって、そこに2人が乗っかる形で作ってきて。トラウマかぁなんだろうと思い返した時に、自分でも忘れようとしていた、写真にもしてなかったぐらい嫌だったことが、自分の場合は性的な事だったんですけど、それを初めて写真にしてみたのがこの3点で。
撮り方もわからないし、本当に探り探りと言うか、できたのかできてないのかもわからなかった。会場設営後に染井さんと数時間キャプションを書き直したりしている時間があったんですけど、その時にやっとできた感じがしたというか、タイトルとキャプション込みでなんか……なんだろう……落ちたというか、落ちるところが決まったって感じの写真だったかな。
光田:これは佐藤さんの作品だけれども、こういう風にしてっていうようなはっきりしたディレクションとはちょっと違う?
佐藤:これは結構はっきりしてましたね。
光田:やってみて写真として壁にかかっているのを見るとどうですか?
佐藤:そうですね、先程光田さんが作品にユーモアを感じるって言ってくれたことがすごく嬉しくて。着地できたかな、と感じています。今回、写真の軸となる部分のエピソードは3人とも明るくない話が多いと思うのですが、自分の中で特にこれが明るくなくて。笑い事にしてしまいたいという気持ちがすごく強くて。でも最終的に無理だと諦めて諦めたら受け入れられたというか。染井さんの生まれ変わったという話に通じるけど、受け入れることにより作品も自分の気持ちも着地した感じで。
光田:そういう佐藤さんのプロジェクトっていうか作品に参加したお二人としては何かコメントありますか?
池崎:そうですね、撮影のその場では結構淡々としてて、撮影のテーマに対して凄い深い思いがあるんだなっていうのはひしひしと感じてたんですけど、でも私たちの距離って、友達っていう親近感でもないし、でも写真が本当に軸にあって。制作をするという目的があるんで、それがあるからこそ言えることもあるし、語るということもあるけど、絶対踏み込めないなっていうのもあって。
そうですね。その撮影の日は確か佐藤さんは最初の待ち合わせで会った時からいつもと雰囲気違うなと思ってて。今考えると距離を感じてて。その辺の深さっていうのは写真撮って出来上がってみて写真についてミーティングして、でその後もどんどんその過程の中で撮影の後から作品になるまで、なってからも、どんどんこう変化するっていうか。いろんなことが分かってくるっていうのが私の写真の受け取り方ですね、はい。本当にこれはいろんな深い事があると思います。
染井:イメージ的に撮っててもそうだったんですけど、私がその時期に魔女の映画を見てて、魔女って言っても全然ファンタジー的な魔女じゃなくて、現代にも本当にいるんだよみたいな体の魔女のやつに似てて。本当に佐藤さんが作品について撮影の後にお話しくれたとき魔女みたいに撮ろうとしたと言ってくれた時に、魔女が誕生してるみたいだなと思ってたから、力とかないかもしれないけど「すごい、ぽいなー」って思って、良かったです。
光田:染井さんが魔女のように見える写真もいっぱいありますね。魔女っていう言葉は何かイメージありますか?
染井:魔女って昔から比喩的な意味で捉えられてるじゃないですか。でもそれって別に全然使っていいなって思ってるかもしれない。いてもいいかなみたいな。ファンタジーじゃなくって「あ、この人魔女だな」って思う時あるから。全然魔女だなって思います。
光田:魔女っていう言葉で、現実のリアルのレベルと少しずれた何かがありそうですね。なるほど、じゃあ後半の作品について言ってみたいことがあったら教えてもらいますか?最後も攻めまくって終わるって感じが、反応して攻めるっていうのはつまりストラッグルっていう事ですけども「いやぁ、ストラッグルしてるぞ」って思って、すごく面白く見たんですけれども、これについて話したいっていう作品を選んで話してもらえますか?
佐藤:最後の壁に行く手前なんですけど、自分の花の横の写真(No.23)が、この展示の中で誰の写真かっていうところの抽象度が高い写真だと思っていて、ちょっと池崎さんに話聞きたいかな。
No.23「your nose, your gaze」2020、池崎一世
No.28「bicameral mind」2021、池崎一世
No.17「君の形を知りたい」2020、染井冴香
No.14「Untitled」2021、池崎一世
ーセルフポートレートの系譜から見えること、あるいはわかることがあればお聞きしたいですという質問をいただいてますが、これは3人の皆さんもどういう風にセルフポートレートを捉えられているのかっていうところだったり、光田さんからもセルフポートレートに関してもしありましたらお願いします。
佐藤:セルフポートレート撮ることについては最初葛藤があったんですけど、女という性別で、セルフポートレートを撮ってる人は女性がなぜか多いっていうこととかもあって。今は少なくなってきたけど、“女性の写真家”として見られることが最初はなんか嫌で、それでやりたくないなって思っていたんですけど、自然に自分の中にあることなのでそれを受け入れて撮るようになりました。
スタートは、人に頼めないなと思うイメージがあって自分で撮らざるを得なくなったというところだったんですけど。自分の場合は、自己の確認というか、形がわからなくなることがあると言うと抽象的なんですけど、自分がどんなものなのかを確認する作業をみたいな側面があるかな。
池崎:セルフポートレートはそんなに最近は撮ってなかったんですけど、佐藤さん言ったみたいに、そもそも私の場合は自分が誰かと取り違えられたりとか、自分が誰だかわかんなくなっちゃうっていう不安がある時期があって、そこが一番モチベーションでした。
染井:セルフポートレートは、私写真始めたばかりの時期に写真史みたいなこと詳しくなくって、今もあまりわからないんですけど、撮る人がいないから自分で写ろうかなみたいな気持ちで、始めて。
基本的に写真写ってる時、あんまり自分を写すみたいな気持ちがないっていうか、その中の人を演じてるみたいな感じなんで。自分じゃなければ自分じゃないほど良いっていうか、そういう気持ちで撮ってます。もう自分じゃなければないほど、そういう風に見えてるやつの方が好きですね、自分の写真は。
光田:変身っていうか、してますもんね。なるほど。今日はいろんなお話聞けてすごく面白かったんですけど、皆さんすごい本音で話してくださって、この写真展を見る視点がまた変わるようなそんなお話だったかなって思って。どうもありがとうございました。
池崎・佐藤・染井:ありがとうございました。